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『磨き屋一番館』の最大のセールスポイントは、その指導者たち。中心となるのは『にいがた県央マイスター』の田中さん、大原さん、古関さんです。『磨き屋』の技を次世代に伝える。3人にとって新たな挑戦が始まりました。
研修生の技術指導に当たる『にいがた県央マイスター』の3人にとって、『磨き屋一番館』は、長年の念願がようやく叶った施設。竣工式では、「長年の思いが実を結んだ」と話し、感慨深そうな表情で並ぶ3人の姿がとても印象的でした。
「古くから金属加工産業の集積地として有名な燕市を支えてきた『磨き屋』の技術を、後世につなげたいという思いがようやく実を結びました。このような施設が多くの関係者の皆さんの協力によって完成したことをとてもうれしく思っています」と田中さん。
しかし、意外にも、『磨き屋一番館』で指導することについて、3人は最後の最後まで迷ったと言います。自分の仕事を減らして研修生の指導に当たることから、当然収入は激減します。また、研修生には実際に納める製品を磨かせるため、その品質チェックにも気を配らなければなりません。
「自分たちの人生のゴールが近いのに」と古関さんは笑いながら話してくださいましたが、実績ある一流の『磨き屋』であるマイスターの皆さんにとって、『磨き屋一番館』で新しいスタートを切ることは、とても大きな決断であっただろうことは、容易に想像できます。
「それでもだれかがやらなければいけない。今やらなければ、燕市の『磨き屋』が途絶えてしまう」
大原さんの言葉に他の二人もうなずきます。
「建物があって、そこに人が集まれば、自然とその輪は広がっていくでしょう。そうすれば、おのずと仕事も集まってくるはず」
古関さんの言葉のとおり、『磨き屋一番館』には徐々に仕事が舞い込んできています。
「市の人材育成に少しでも貢献したい」。3人の新たな挑戦が、今、始まりました。
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田中 三男さん(たなか・みつお)
田中研磨工業
機械部品製造販売会社を経て、33歳のときから研磨業を始める。昭和61年に金属研磨仕上げ単一等級を取得。中央能力開発審議会専門委員、燕研磨工業会会長を歴任。日本金属研磨仕上げ技能士会主催の第4回技能競技会奨励賞を受賞。IT関連機器の研磨の依頼を受けたときは、地域全体で対応するため取りまとめ役を任された。自ら技術を開発・指導することで、研磨技術の標準化に成功する。
高橋 千春さん(たかはし・ちはる)
新潟県立巻高校、法政大学を経て、東京都内の室内装飾会社へ就職。25歳のときに燕へ戻り研磨を始める。昭和63年に金属研磨仕上げ単一等級を取得。バフレース研磨はもちろん、フレキシブル研磨、ハンドバフ研磨などを複合させ、大きな製品から小さな製品まで鏡面仕上げが可能。技術・技能は人に伝えて始めて意味を成すものであるとの考えのもと、「磨き屋一番館」での後継者育成に力を注ぐ。
大原 實さん(おおはら・みのる)(非常勤)
拒蛹エ研磨工場
20歳のとき、農業から転職して研磨工となる。5年間、企業で研磨業に従事した後に独立。昭和61年に金属研磨仕上げ単一等級を取得。中央技能検定委員、燕研磨工業会会長を歴任。ホテルなどで使用する金物食器の研磨を得意とし、さまざまな製品を研磨する。中でも皿は研磨による変形が現れやすく難しいが、全身を巧みに使うことで、120cm以上の大皿を磨くことができる全国でも唯一の職人。
古関 鐵男さん(こせき・てつお)(非常勤)
中学卒業後、見習い期間を経て独立。昭和61年に金属研磨仕上げ単一等級を取得。燕研磨工業会の設立に尽力する。燕研磨工業会会長、日本金属研磨仕上げ技能士会会長、磨き屋シンジケートチェアマンを歴任。曲面のみで構成されるパイプの内面の研磨や屈曲金物へ軸方向に連続したヘアライン加工(髪の毛のように細かいキズを一定方向につけたもの)を施す技術などを開発した。
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「にいがた県央マイスター」は三条地域振興局が認定する、県央地域で高度な産業技術を支える卓越した技能を有する人たちのことです。マイスター自らが企画する「マイスター塾」や工業高校、テクノスクールの外部講師などの技能継承活動を行いながら、優れた技能の維持や継承、人材確保、人材育成を図り、地域産業の振興の一翼を担っています。平成17年度以降、これまで23人が認定されました。
燕市からは上の3人のほか、細野五郎さん(鎚起銅器製造)、大岩信夫さん(手彫り彫金・彫刻)、林正栄さん(精密金属加工技術)、川ア勝司さん(部品検査技術)、斉藤新一郎さん(金属用食器スプーン製造)、平浩昭さん(バフ研磨[精密機械部品])の6人が認定されています。
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