大河津分水路は越後平野を水害から守ることを目的とし、信濃川の洪水が越後平野で暴れまわる前に日本海へ流しだす人工的な河川です。
その昔、信濃川はひとたび豪雨となれば洪水となり、越後平野一帯に大水害をもたらしてきました。
この川の洪水に苦しんできた先人達は、享保年間(1716年〜)に大河津分水の掘削を幕府に請願。その後200年もの歳月を経た明治40年、帝国議会において議決し、明治42年に本格的な工事が始まることとなりました。
工事は13年の歳月と延べ1千万人の人力により完成。可動堰と洗堰(あらいぜき)を操作することにより、本流には一定の水量を確保し、洪水時には下流域を守り、日本海へ流し出すことができるようになりました。
約10Kmにもおよぶこの大治水事業は当時「東洋のパナマ運河」と呼ばれ、3〜4年に1回平均で起きていた洪水による被害もなくなり、胸まで浸かる湿田を豊かな穀倉地帯へと変貌させ、大河津分水はまさに越後平野の守り神といわれるようになりました。
現在は、完成後約80年が経過した旧洗堰に代わり、平成12年に通水が始まった新洗堰がその大役を担っています。
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平成12年から通水が始まった新洗堰。信濃川へ流す水量を調節します。魚道観察室もあり、魚の遡上状況を見ることができます。 |
![]() ![]() 旧洗堰 |
四季を通じ様々な光景が見られる憩いの場。信濃川の水路でじゃぶじゃぶ遊べる水路があります。秋は鮭の遡上、冬には白鳥の飛来する光景も見ることができます。 公園内の旧洗堰は、平成12年に現在の洗堰が通水するまでの78年間働きつづけました。平成14年には国の登録有形文化財に指定されています。 |
![]() ![]() 新可動堰の完成イメージ |
幾多の洪水を受け流してきた可動堰も完成から74年が経過し、老朽化が目立つようになりました。 平成15年、先人たちの夢を受け継ぎ、改築工事が始まりました。 今、新たな希望の鼓動がきこえます。 |
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信濃川改修工事から100年を記念して建てられた資料館。信濃川の歴史や大河津分水に関する資料が展示されており、総合学習の場としても活用できます。
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