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国上山(くがみやま)の中腹にある真言宗の寺院。和銅2年(709年)創建の県内最古の名刹で、境内には本堂のほか、客殿、六角堂、大師堂、一切経堂、鐘楼堂、宝物殿などの重厚な建物が建ち並びます。酒呑童子(しゅてんどうじ)はこの寺の稚児であったという伝説も。
2009年には開山1300年を迎えます。 問合せ/国上寺 0256-97-3758 国上寺ホームページ(新規ウインドウ) |
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良寛が玉島(岡山県倉敷市)の円通寺(えんつうじ)で厳しい修行を終え、各地の名僧を訪ねて研さんを重ねたのち、越後に戻った良寛が寛政5年(1793年)ころから約20年過ごした庵。もとは国上寺本堂を再建した客僧「萬元上人(ばんげんしょうにん)」が毎日米五合を給されていたことに由来されています。 |
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五合庵の老朽化と朝夕の山坂の登り降りが老身にこたえ、良寛は文化13年(1816年)から約10年、ここ乙子神社社務所に移り住みました。以来、誰いうともなく乙子神社草庵と呼ぶようになり、ここでの10年間の生活は、良寛芸術の最も円熟したときであったといわれています。 |
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大河津分水路の東岸にある夕ぐれの岡は、良寛が托鉢の途中によく足を止めたと伝えられる場所。名の由来は萬元上人が「忘れずば道行きふりの手向をもここを瀬にせよ夕ぐれの岡」と詠んだことにちなみます。 |
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館内には五合庵・乙子神社草庵時代の遺墨、関係資料などを展示。特に晩年、親交の厚かった解良家、阿部家に伝わる白眉ともいえる名品に注目が集まります。
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![]() 米納津隕石 |
長善館は、天保4年(1883年)に良寛とも親交のあった鈴木文臺(ぶんたい)が創設した私塾で明治45年(1912年)に閉館するまでの約80年間、近隣地域の子弟を教育してきました。 塾生は1,000人を超えると推定されており、多くの偉人も輩出しています。 史料館には米納津隕石の模型や日本画家・横山操の作品も展示されています。
米納津隕石 天保8年(1837年)轟音を響かせて水田に空から巨大な隕石が落下してきました。跡地には記念碑が建てられています。 |