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廣田廣正

廣田廣正

廣田廣正

彫金 額(教育勅語) 廣田廣正

廣田廣正 解説

『彫りの廣正』は、昭和57年12月調査による「燕金属彫刻組合員系図」によると、直接の弟子が33名も並んでいる。さらに、廣正の流れをくむ彫金師たちは、86名を数えることができ、燕彫金界の大御所であったことがわかる。
本名、廣田友三郎(号 雲月廣正)は、新潟県西蒲原郡燕町727番地、廣田郁(父)廣田ツタ(母)のもとで明治13年(1880年)1月23日に出生した。
燕金属彫刻組合創立35周年記念誌(昭58・5発行)によれば、明治18年頃会津若松から移住したといわれる彫金師・大原幸太郎(中太田・本井仕立屋跡で文字彫を主に営業・屋号若松屋)に弟子入りしたのが、明治26年2月25日と明記してある。友三郎少年、13才であった。
7年後の明治33年、年期が明けて上横町(現中央通一丁目)相仙理髪店前に、美術彫金「雲月廣正」を開業し、銅器類や煙草入れの金具、キセルの模様、金銀の象嵌、鑿[のみ]、鉋[かんな]の刻印などを彫っていたのである。
数多くの弟子を養成したことは前述のとおりであり、昭和34年(1959年)6月3日、80才で永眠している。
酒が入ると、夜空にむかって、「天下の廣正だ!」と大声を張りあげる癖があったという廣正師は、雅号にふさわしく、雲と月にも我名がとどけと吠えたのかもしれない。
「天下の廣正」の彫りの心と技は大勢の彫金師の中に生き続け、直系三代目廣田温樹は「廣正彫金業」として、燕市秋葉町四丁目で彫り続けている。

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