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清穂堂 本間清作

清穂堂 本間清作

清穂堂 本間清作

建水 本間清作

清穂堂 本間清作 解説

明治41年(1908)11月17日、旧東太田村の農家の四男として生まれた清作は、九人兄妹の末っ子でもあった。父の名は丑蔵、母の名はサノ。出入りをしていた宮町の黒川米屋の主人の口ききで、手に職をおぼえるため、玉川堂に弟子入りをする。16才のときである。

昭和3年(1928)、21才の年季明けの後も、腕を見込まれて職人として玉川堂に残る。

四代覚平のもとで、主に高級品を手がけた。昭和21年、秋葉町の現住所で独立。清穂堂と号し、もっぱら好者の依頼品を打ちあげた。しかもその大半が銀器であったところに、戦後独立した銅器職人の中でも、特異な地位を占め、昭和の名工と呼ばれる技術者であったことを裏付ける。

昭和51年(1976)10月4日没。

生前、鎚起銅器の県無形文化財の技術をもちながら、玉川堂に在籍しないため、無形文化財の技術保持者として、指定されないことを無念として、玉川堂の無形文化財指定とは別に、燕-分水の鎚起銅器の県無形文化財指定の道を、後進のために開けないものかと、49年の春、筆者に相談をもちかけてきた。それは燕地域に点在する鎚起銅器の職人たちの気持ちを代弁したものであった。史料保存会の仕事としてとりあげるべく、市の総務課を通して県教育委員会に内々の打診をしたところ、申請があれば受理した上で、現情を調査、検討をしてもよい、と書面で解答を得た。

しかし、長年つかえた玉川堂への手前をはばかってか、本間清作は申請人として名をつらねることを遠慮した。ためにこの件は中断した。産業史料館の催事として、毎年11月に開催している「手仕事展」は、こうした本間清作の執念を実らせるための一つの運動としてとりあげたのに端を発する。言ってみれば、「手仕事展」の原点である。

清穂堂二代、丑蔵は、祖父の名をもらい、初代清作の生存中は、もっぱらヘラしぼりの湯沸し、茶筒、建水等一般商品を手がけてきたが、「仕事をみて技術をおぼえろ」という初代の教えを若くして会得し、初代とはまた一味違った丁寧な打出し仕事をみせてくれる。 (相沢直人/燕産業史料保存会)

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