燕市産業史料館website

燕の産業が見れる・分かる・燕市の産業の歴史を学べる史料館のご紹介です

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日本の洋食器展示室 展示品 後半

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金属洋食器の製造中止

展示品

1940(昭和15)年、「奢侈品等製造販売制限規則」(七・七禁令)の発令によって、金属洋食器の生産は全面的に禁止されます。

ようやく日本人の生活にとけこんできたスプーンやフォークも、ぜいたく品とされてしまったのです。

技術保存のために燕では7社だけが残されましたが、そのほかの会社や工房は軍需産業に転業せざるを得ませんでした。

苦境を救ったステンレスの技術開発

展示品

アメリカへの輸出を順調に伸ばしていた1951(昭和26)年、「錆が出た」という苦情が寄せられ売れ行きが落ち込みました。

燕の技術者は急きょアメリカに赴き、ステンレスのクズを熔解再生する技術を習得し、安価で高品質の原料入手により苦境を脱します。

また、表面の汚れを取りのぞく電解研磨の研究開発により、燕のステンレス製洋食器の品質は格段に向上しました。

デザインへのめざめ

展示品

昭和30年代の燕の輸出用金属洋食器は、外国の見本をもとにつくられていました。まだ「世界の下請け工場」に甘んじていたのです。

このころから製造技術を切り売りするのではなく、世界に通用する独自のデザインを探るようになります。

デザイナーにデザインを依頼する試みもはじまり、洋食器業界に新たな刺激をもたらしました。

貿易摩擦と金属洋食器産業

展示品

金属洋食器の対アメリカ輸出額の急伸に対し、アメリカの製造業者は危機感をつのらせ、輸入制限運動をおこしました。

1957(昭和32)年4月、ついに輸入制限が発動されます。燕は輸入制限撤廃を求め陳情団をアメリカに送って対抗しました。

この逆境のなか、ほかに販路を求めるもの、金属洋食器以外に活路を見出すものなど、燕は新たな道を探しはじめました。

外食産業と金属洋食器

展示品

1970(昭和45)年は「外食元年」とよばれます。

様々な外食産業が登場し、そこで一日に何回も使用されるスプーンやフォークは、耐久性はもとより、機能性や清潔さ、美しさを満たすことが基本条件になります。燕の製品は、この条件を満たしていました。

1971(昭和46)年のドルショックは、国内市場への転換を加速させ、外食産業に燕の製品がより深く浸透していくきっかけになりました。

新市場の開拓

展示品

昭和50年代半ばころからの輸出の衰退で苦境に立たされた燕の金属洋食器産業は、中近東やアフリカ方面への販路を拡大させます。

また金属だけではなく、プラスチック製洋食器の開発など、新市場を求めたり、新素材を取り入れるなど旺盛な活力によって苦境に立ち向かいました。

この開拓精神こそが、燕「産地産業」の強さの原点といえるでしょう。

「食具(しょくぐ)」の原点へ

展示品

つくれば売れる時代からより良いものへの社会の変化にともない、燕の洋食器も日々進化を続けています。

世界に認められるデザインや、使う人に優しい機能を追及しながら、洋食器の新たな可能性も広がっています。

燕の洋食器のつくり手たちは、わたしたちの食生活に欠かせない「食具」をさらに極めようと、その歩みを止めることはありません。

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