名誉市民

更新日:2025年12月24日

燕市の名誉市民を紹介いたします。

名誉市民

鈴木 虎雄

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明治11年生

昭和38年没

漢学塾・長善館で学んだ後、東京帝国大学文科大学漢文学科に入学。卒業後、同校講師を経て、明治41年から30年間京都大学教授として教鞭を執りました。晩年は昭和天皇に漢書を御進講し、生涯書いた漢詩は一万首以上と、世界一を誇っています。

昭和36年に文化勲章受章。昭和37年に吉田町名誉町民として、顕彰されました。

山宮 半四郎

山宮 半四郎の写真

明治15年生

昭和43年没

大河津分水の堤防に私財を投じておよそ6,000本の桜を植えるとともに記念公園をつくりました。そこには大河津分水工事という偉業を後世に末永く伝えたいという情熱があり、植樹した桜の育成に半生を注ぎ、現在の桜並木を育みました。また、地蔵堂町長を務めたこともあり「分水町」の名付け親にもなりました。

昭和42年に分水町名誉町民として、顕彰されました。

山浦 長次郎

山浦 長次郎の写真

明治33年生

昭和45年没

「分水町の将来を築くのは青少年である」という確固たる信念を抱きながら青年団の活動に力を入れ、青少年育成に大きな業績を残しました。20歳で地蔵堂町青年団長となり、その後は分水町長に。小学校の統合や保育所・プール・役場庁舎の建設、さらに赤字財政の立て直しにも尽力しました。

昭和45年に分水町名誉町民として、顕彰されました。

藤井 辰次郎

藤井 辰次郎の写真

明治37年生

昭和60年没

株式会社藤井製作所代表取締役として会社を経営するかたわら、学校施設整備をはじめとする公益事業や社会教育の振興などに熱意を持ち、毎年のように吉田町に多額の寄附や寄贈をしました。

郷土発展に多大な貢献をし、11回もの紺綬褒章を受章。昭和49年に吉田町名誉町民として、顕彰されました。

原田 泰夫

原田 泰夫の写真

大正12年生

平成16年没

日本将棋連盟 の理事長を6期連続して務めた棋士。風格ある作風の能書家としても知られた人物でした。7歳の時に将棋を覚え、15歳で加藤次郎名誉九段(当時は五段)に入門。その後21歳で四段、26歳で八段となりました。昭和57年に藍綬褒章を受章し九段に昇格、平成8年には勲四等旭日小綬章を受章。

昭和59年に分水町名誉町民として、顕彰されました。

亀倉 雄策

亀倉 雄策の写真

大正4年生

平成9年没

世界的グラフィックデザイナー。日本宣伝美術会などの創立に参加したほか、毎日芸術賞など数々の芸術賞を受賞し、世界的に活躍しました。代表作は東京オリンピック「スタートダッシュ」、大阪万国博覧会ポスター、NTTロゴマークなど多数。

平成12年に吉田町名誉町民として、顕彰されました。

横山 操

横山 操の写真

大正9年生

昭和48年没

豪快な筆致と、大胆な構図で知られる日本画家。昭和13年、第25回光風会展に「町裏」が初入選。その後、日本画界の注目を浴び、昭和40年から多摩美術大学日本画科教授も務めました。代表作は「塔」「送電源」「赤富士」など多数。

平成12年に吉田町名誉町民として、顕彰されました。

上山 善紀

上山 善紀の写真

大正3年生

平成21年没

昭和20年に近畿日本鉄道株式会社に入社。その後、昭和56年に同社の代表取締役社長となり、昭和62年には同会長に就任するなど要職を務めました。

鉄道事業の発展や産業経済、さらに行政運営に寄与した功績が認められ、平成7年には勲一等瑞宝章を受章。平成13年に分水町名誉町民として、顕彰されました。

高桑 榮松

高桑 榮松の写真

大正8年生

平成28年没

昭和32年に北海道大学医学部教授に、昭和45年には同学部長に就任するなど医学教育に広く尽力。その一方で、昭和58年から12年にわたって参議院議員としても活躍しました。

平成7年には大学教授および国会議員としての社会貢献が認められ、勲一等瑞宝章を受章。平成13年に分水町名誉町民として、顕彰されました。

玉川 宣夫

玉川 宣夫の写真

昭和17年生

金工作家。伝統的な鍛金の技法を高度に体得し、特に木目金の技法を活かした独自の作風の確立により、平成12年に紫綬褒章を受章、平成22年には重要無形文化財「鍛金」保持者(人間国宝)として認定されました。

平成24年に旭日小綬章を受章。平成22年に燕市名誉市民として、顕彰されました。

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