良寛ゆかりの地

更新日:2021年03月01日

燕市分水良寛史料館 良寛ゆかりの地

良寛ゆかりの地

709年の開基と伝えられる古刹ですが、南北朝から戦国時代にかけて衰微しました。江戸中期、客層万元らの尽力によって、伽藍の整備再建が行われ、本堂は享保3年(1718)に完成し、今日に至っています。

万元は国上寺から小さな庵を与えられ、毎日粗米五合を給されたことから五合庵と名付けました。その後、国上寺住職が隠居所として使用したりしました。文化元年(1804)から文化13年(1816)にかけて良寛が住みました。

乙子神社の乙子とは「末子」という意味で、弥彦神の末っ子の神を祀っています。良寛はこの神社境内の草庵に1816年から文政9年(1826)まで住みました。

杜に囲まれた国上寺を正面から撮影した写真

国上寺

緑の木立の中にある五合庵の写真

五合庵

2匹の狛犬が佇む乙子神社草庵の写真

乙子神社草庵

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