大河津分水建設に活躍した門下生をイラストにしました
長善館で学んだ5人をかわいいイラストでご紹介します
江戸時代から明治にかけて、燕市粟生津に存在した私塾・長善館で学び、大河津分水建設のために活躍した5人の門下生たちをかわいいイラストにしてキャラクター化し、職員の名札や名刺、公用車のステッカーなどでPRしています。それぞれのキャラクターをご紹介します。
TAKE(高橋 竹之介)

長岡市中之島生まれ。
江戸から明治へと時代が大きく変わるとき、高橋竹之介は新政府軍の一員として活躍しました。首都を東京へ移すことに反対したため、牢獄に入れられたこともありましたが、その後、長岡で塾を開き、多くの若者を育てます。大洪水「横田切れ」が起こると、大河津分水建設の重要性を新政府に訴えました。
WASHI(鷲尾 政直)

新潟市黒鳥生まれ。
鷲尾政直は、第一次大河津分水工事に携わった後、当時の国の官庁である民部省で働きながら、全国各地の土木事業を経験し、土木技術を身に着けたようです。治水には人々の力である「民力」が重要であると説き、中ノ口川の改修工事に全力で取り掛かりました。その後、黒鳥村の村長となり、村のために尽くしました。
KAN(大竹 貫一)

長岡市中之島生まれ。
信濃川、刈谷田川、猿橋川の3つの川に囲まれた土地にある大庄屋の6男として生まれた大竹貫一は、治水の志を1日も忘れることはなかったそうです。村会議員、県会議員を経て、衆議院議員を通算16期34年も務め、政治家として、大河津分水工事の建設や刈谷田川改修などに取り組みました。
SAMON(萩野 左門)

新潟市黒埼出身。
萩野左門は12歳から8年もの長きにわたり、長善館で学びました。政治家となり、県会議員、衆議院議員のほか、栃木県知事や新潟市長も務めます。大河津分水工事の建設を訴えることはもちろん、中ノ口川の改修工事に取り掛かる同門の鷲尾政直にも協力。新潟市内を流れる新川の掘削・改良にも大きく貢献しました。
USA(小柳 卯三郎)

新潟市中之口出身。
若いころは、自由民権運動家として国会開設運動にかかわりました。県会議員を3期、衆議院議員を3期務めたほか、当時の小吉村の初代村長も務めています。大河津分水の実現のため、新潟県治水会を組織。同門の萩野左門、鷲尾政直と一緒に奔走しながら、県や国に対し、陳情請願を繰り返しました。
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更新日:2021年10月29日